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2009-04-24 [現代思想・入門]

ハイデガー存在論への展開
「存在」そのものへの問い
 『存在と時間』
    序に代えて
 ……「存在」は、存在者についてのいかなる経験においても、表立たずにではあるが、あわせて
 了解されている。 かような存在了解は、われわれ自身がそれであるところの存在者、すなわち
 現存在にそなわっている。 ……いったい存在というようなものがどこから理解できるようになる
 のかということを解明する必要がある。 ……存在了解の地平をあらわにするこの基礎存在論的
 課題こそ、すなわちここに述べる『存在と時間』についての論考がみずから課した課題である。
 それは、かような地平が実は「時間」であることを証示しようとつとめる。……
  こうして、すべての存在論の根本問題、すなわち存在一般の意味への問いに……

      序に代えて   初版当時に著者がみずから書いて発表した広告文の全文である。
          地平   なにかがしかじかのものとして理解できるようになる場面、視圏。

    序論 存在の意味への問いの提示
  第一章 存在の問いの必然性、構造および優位
第一節 存在への問いをあからさまに反復する必然性
 存在への問いは不必要だとさせる三つの予断
  1 「存在」は「もっとも普遍的な」概念である、といわれる。
  2 「存在」という概念は定義不可能である、といわれる。
  3 「存在」は自明の概念である、と思われている。
  存在の意味への問いを反復する必然性を見とどけられるようになるまで、予断を考慮する。
 存在問題を反復するということは、問題設定をゆきとどいた形で開発するということを意味する。

第二節 存在への問いの形式的構造
 課題は、存在の意味への問いを、問いとして立てることである。
 一般に問いというものにそなわる形式的構造を手びきにして、この問いの性格を明らかにする。
  1 問うということは、求めることである。
  求めるということは、求められているものの側からあらかじめうけとった志向性をそなえている。
  存在の意味をめざす明確な問いと、それの概念へ向かう志向とは、存在了解から生じる。
  「存在」が何を意味するのかを知ってはいなくとも、「《存在》とは何であるか」と問うだけでも、
  われわれはすでにこの「ある」の了解のなかに身をおいている。
  この大まかな漠然とした存在了解は、ともかくもひとつの既成事実である。
  存在への問いにおいて求められているものは、まったく未知というわけのものでもないのである。

  2 問うということには、問われているものがぞくしている。
  考究的な問いでは、問われているものが規定されて概念として表明されなくてはならない。
  この場合には、問われているもののなかに、根本において志向されたものとして、問いただされ
  ている事柄がひそんでいるわけであって、問いはそこにいたって目標に達するのである。
  これから開発しようとする問いで問われているものは、存在である。
  存在とは、存在するもの(存在者)を存在するもの(存在者)として規定するものである。
  存在者の存在は、それ自体、一種の存在者「である」のではない。
   存在者を存在者として(それの存在において)規定するにあたって、
   あたかもその存在がなにか存在者としての性格をそなえているとでもいうかのように
   「おとぎばなしをする」のをやめることが、存在問題を理解するうえでの哲学的第一歩である。
  問われているものとしての存在を明らかにするためには、存在者を発見する様式とは本質的に
  区別されるような、特別の挙示様式を必要とする。
  問いただされる事柄、すなわち存在の意味を把握するためにも、特別な概念組織が要求される。
  これも、存在者を規定する概念にくらべていちじるしい差異を示すであろう。

  3 問うということには、問いかけられているものがぞくしている。
  存在への問いにおいて問いかけられるものは、当然、存在者そのものである。
  存在への問いは、存在者がおのれの存在の諸性格をいつわりなく打ち明けられるように、
  その存在者への適切な近づき方を獲得して、それをあらかじめ確保しておくことを要求する。
  どの存在者について存在を読みとったらよいのか。
  存在問題の開発にあたって、どれか特定の存在者が優位をもっているのであろうか。
  だとすれば、この範例的な存在者はどれであり、またいかなる意味で優位をもつのであろうか。

  4 もっとも基本的な問いは、それにふさわしい透明な見通しをもって問われる必要がある。
  問うことは、ある存在者のはたらきであるから、それ自身、固有の存在性格を帯びている。
  明確な問題設定としておこなわれる問うことの特色は、問うことが問いそのものの構成的諸性格
  のすべてにわたって、あらかじめ透明な見通しを得ているという点にある。
  存在への問いの仕上げのために、
   (1)存在の方を見やり、その意味を理解し、かつこれを概念的に表明する仕方を解明する
     ことが要求され、
   (2)範例的な存在者を適切にえらぶ機会を用意し、この存在者へ到る正統な近づき方を
     取りだしてくることが要求される。
  なにかの方を見やり、……近づくということは、問うということを構成するはたらきであるから、
  それら自体、ある特定の存在者―問うている存在者―の存在様態である。 してみれば、
  ここで要求されたような仕方で存在問題を開発するためには、
  ある存在者をそれの存在において透明にしなくてはならないわけである。 それゆえ、
  この問いを問うということは、このはたらきが、ある存在者の存在の様態なのであるから、
  それ自体、この問いにおいて問いがむけられている当のもの―すなわち存在―の側から
  本質的に規定されているわけである。
  われわれ自身が各自それであり、そして問うということを自己の存在の可能性のひとつとして
  そなえているこの存在者を、われわれは術語的に、現存在という名称で表わすことにする。
  存在の意味をたずねるあからさまな透明な問題設定は、ある存在者(すなわち現存在)を
  それの存在についてまず適切に解明しておくことを要求する。
  存在の意味への問いのなかには、「循環論証」は含まれていない。 が、
  問うはたらきが、それが問うているところのものによって本質的に打たれているということ、
  このことは、存在問題のもっとも固有な意味にぞくすることである。
  現存在という性格をそなえている存在者は、存在問題そのものに、おそらくは格別のかかわりを
  もっている。 このことから、いわば現存在の優位というようなものの前触れがみえてくる。

 存在への問いが特有のものであること、しかもそれを開発したり、解決したりするためには、
 一連の基本的考察が必要とされることが、明瞭になった。





                                               09-04-25 再掲
 

 

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