SSブログ

2009-04-25 [現代思想・入門]

ハイデガー存在論への展開
「存在」そのものへの問い
 『存在と時間』
    序論 存在の意味への問いの提示
  第一章 存在の問いの必然性、構造および優位
第三節 存在問題の存在論的優位
 存在への問いが格別の問いであるということを、
 それの機能や意図や動機などに関して行届いて画定することで明らかにする。
 この問いを反復する必然性を動機づけるもの(いままでのところ)
  1 来歴の由緒ただしさ
  2 明確な答えが欠けていること、そもそも満足な問題設定さえ欠けていること
 この問いがいったい何の役に立つのか。
  ―もっとも原理的であると同時にもっとも具体的な問いなのであるか。

 存在とは、いつも、ある存在者の存在である。
 存在者の一切は、そのさまざまな境域に応じて、一定の事象領域の開拓と画定の分野となりうる。
 事象領域は、歴史、自然、空間、生命、現存在、言語などのように、
 それぞれに相当する学問的研究において主題的な対象とされることができる。
 基礎概念とは、
 それぞれの科学のあらゆる主題的対象の根底にある事象領域についての諸規定である。
 これらの基礎概念に真正の証示と「基礎づけ」を与えるためには、
 それに相応して先行的に事象領域そのものを究明しなくてはならない。
 事象領域は、それぞれ存在者そのものの境域から得られるものであるから、
 基礎概念を汲みあげる先行的な探究とは、
 この存在者をそれの存在の根本構成について解釈するという仕事にほかならない。
 たとえば哲学的にみて第一義的なものは、歴史学の概念形成や認識の理論ではなく、
 本来的な意味で歴史的に存在するものを解釈して、その歴史性を究明することである。

 存在論という言葉をもっとも広い意味に解すると、それは上に述べたような問題設定を指す。
 存在論的に問うことは、
 実証科学のように存在的に問うことにくらべればいっそう根源的な問い方である。 が、
 それが特定の存在者の存在を問いながら存在一般の意味を究明せずにいるならば、
 それ自体も、素朴さと不透明さを脱しない。
 すべての存在論は、いかに豊かで堅牢なカテゴリー体系を具備していようとも、
 それよりも先に存在の意味を行届いて明らかにし、
 この解明こそ己の基本的課題であるということを自覚していないかぎり、
 根本においては、依然として盲目なのであり、自己の本来の意図に背馳するものなのである。

 ただしく理解された存在論的研究そのものが、存在問題にその存在論的優位を与える。
 事象的・学問的な優位だけが、この問題のただひとつの優位ではない。

  存在論的   存在者の存在を主題とする認識態度
  存在的   存在者の属性や関係などを主題にする実証的認識態度
  前=存在論的   存在的においても、その存在者が存在していることが前提的に了解されて
              いるのだから、存在的も事実上は―潜在的な意味で―存在論的であること






                                               09-04-26 再掲





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

2009-04-242009-04-26 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。