2009-05-14 [現代思想・入門]
【現象学から実存主義へ】に関する主要人物の解説とキーワード
現象学的還元
周知の〈世界〉の見方をいったん中止して意識に立ち戻る方法
超越論的意識
純粋な意識の場面
カントの超越論的(=先験的)主観という概念から
超越論的観念論の立場
人間は、はじめから概念の囲いのなかにとじ込められているので、
外側にある対象をそれ自体としては捉えられず、
ただ自分の観念の仕組みを通して現われてきたかたちにおいてしか
それを認識することができない、という考え方。
志向性/ノエシス・ノエマ
志向性 意識は、それ自体ある「対象についての意識」、常にある対象を志向する。
ノエシス 意識の作用的(対象への志向性の向けつづけ、向け変えの作業)側面
ノエマ 意識の受動的・客観的な側面
意識の作業があり、その結果として得られるというのではない。
意識は常に志向性を働かせている。 そのことのうちに、
対象が客観的に存在しているという暗黙の確信がおのずと現われてくる。
意識のこういう側面をいう。
エポケー
世界はかくあるという思い込み(臆見=ドクサ)をいったん中止し、たんなる意識そのものに戻る。
判断中止
自然(主義)的態度
世界は、いま、ここにあるという普通の世界観
生きた現在
人間の現在とはひからびた知覚の一瞬でなく充実した経験の現在である。
間(相互)主観性
他人もまた自分と同じ〈主観〉として存在しているということの諒解
自我は〈自己投入〉によって、他人の身体をたんなる物ではなく、
まさしく自分のもっている身体と同じものであることを理解してゆく。
生活世界
ふだん私たちが生活している日常生活の領域があらゆる人間の思考の基礎である。
〈意識〉のなかで起こっている生き生きとした生の〈経験〉の世界こそが、
客観的な諸学問のほんとうの存在理由をなしている。
現存在と存在者
あらゆる事物存在は存在者、そのうち、人間を現存在とし、現存在が存在者を規定する。
世界内存在
世界の内に投げ込まれている現存在は、かつ己に先んじて世界の内にすでに在る。
現象学
カントの〈現象〉 人間に現われ出た仮象
ヘーゲル 『精神現象学』 09-04-18 参照
フッサールの現象 〈意識〉に現われ出ている事象
両義性
人間存在の精神と身体は言葉の能力では言い表わせない―両義的たる由縁
知覚/身体(現象学)
思惟以前に知覚がまずある。 身体は知覚に限らず、為すことで世界に存在する。
知覚 私たちが世界の内に存在していることの第一の根拠
私は生きているという感受の、いわば〈地〉としての源泉であり、
そのうえで「いっさいの諸行為」が〈図〉として浮かび上がる。
身体 身体によって〈為す〉ことが、私たちが〈世界〉の内で生きており、
人間存在としてさまざまな意味や関心の中心点であることの土台をなしている。
存在論的差異
存在者の存在的(オンティッシュ)な探究の仕方と、
存在論的(オントローギッシュ)な探究の仕方のちがい(差異)を指す。
存在論的 事物関連として捉えられない人間存在を独特な仕掛けで捉える仕方
近代合理主義 フッサール 『ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学』
客観主義的合理主義
ガリレイ、ニュートン、デカルトなどが創始した諸科学の根本的な性格
近代諸学問の基礎
〈世界〉の均質化、客観化
たとえば、ガリレイの地質学によって、日常(俗なる)空間も、日常ならざる(聖なる)空間も、
距離や高低といった測定可能なかたちに還元されてしまった。
世界が客観的に存在していて、これを人間の認識は知りつくせるという確信は、
はじめに世界が客観的に存在するという検証抜きの前提から生じた、大きな臆見である。
(他者の)眼差し
想像力
投企
現存在分析
F・ブレンターノ 『道徳的認識の源泉について』
現象学的還元
周知の〈世界〉の見方をいったん中止して意識に立ち戻る方法
超越論的意識
純粋な意識の場面
カントの超越論的(=先験的)主観という概念から
超越論的観念論の立場
人間は、はじめから概念の囲いのなかにとじ込められているので、
外側にある対象をそれ自体としては捉えられず、
ただ自分の観念の仕組みを通して現われてきたかたちにおいてしか
それを認識することができない、という考え方。
志向性/ノエシス・ノエマ
志向性 意識は、それ自体ある「対象についての意識」、常にある対象を志向する。
ノエシス 意識の作用的(対象への志向性の向けつづけ、向け変えの作業)側面
ノエマ 意識の受動的・客観的な側面
意識の作業があり、その結果として得られるというのではない。
意識は常に志向性を働かせている。 そのことのうちに、
対象が客観的に存在しているという暗黙の確信がおのずと現われてくる。
意識のこういう側面をいう。
エポケー
世界はかくあるという思い込み(臆見=ドクサ)をいったん中止し、たんなる意識そのものに戻る。
判断中止
自然(主義)的態度
世界は、いま、ここにあるという普通の世界観
生きた現在
人間の現在とはひからびた知覚の一瞬でなく充実した経験の現在である。
間(相互)主観性
他人もまた自分と同じ〈主観〉として存在しているということの諒解
自我は〈自己投入〉によって、他人の身体をたんなる物ではなく、
まさしく自分のもっている身体と同じものであることを理解してゆく。
生活世界
ふだん私たちが生活している日常生活の領域があらゆる人間の思考の基礎である。
〈意識〉のなかで起こっている生き生きとした生の〈経験〉の世界こそが、
客観的な諸学問のほんとうの存在理由をなしている。
現存在と存在者
あらゆる事物存在は存在者、そのうち、人間を現存在とし、現存在が存在者を規定する。
世界内存在
世界の内に投げ込まれている現存在は、かつ己に先んじて世界の内にすでに在る。
現象学
カントの〈現象〉 人間に現われ出た仮象
ヘーゲル 『精神現象学』 09-04-18 参照
フッサールの現象 〈意識〉に現われ出ている事象
両義性
人間存在の精神と身体は言葉の能力では言い表わせない―両義的たる由縁
知覚/身体(現象学)
思惟以前に知覚がまずある。 身体は知覚に限らず、為すことで世界に存在する。
知覚 私たちが世界の内に存在していることの第一の根拠
私は生きているという感受の、いわば〈地〉としての源泉であり、
そのうえで「いっさいの諸行為」が〈図〉として浮かび上がる。
身体 身体によって〈為す〉ことが、私たちが〈世界〉の内で生きており、
人間存在としてさまざまな意味や関心の中心点であることの土台をなしている。
存在論的差異
存在者の存在的(オンティッシュ)な探究の仕方と、
存在論的(オントローギッシュ)な探究の仕方のちがい(差異)を指す。
存在論的 事物関連として捉えられない人間存在を独特な仕掛けで捉える仕方
近代合理主義 フッサール 『ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学』
客観主義的合理主義
ガリレイ、ニュートン、デカルトなどが創始した諸科学の根本的な性格
近代諸学問の基礎
〈世界〉の均質化、客観化
たとえば、ガリレイの地質学によって、日常(俗なる)空間も、日常ならざる(聖なる)空間も、
距離や高低といった測定可能なかたちに還元されてしまった。
世界が客観的に存在していて、これを人間の認識は知りつくせるという確信は、
はじめに世界が客観的に存在するという検証抜きの前提から生じた、大きな臆見である。
(他者の)眼差し
想像力
投企
現存在分析
F・ブレンターノ 『道徳的認識の源泉について』
世界の名著 62 ブレンターノ・フッサール (62) (中公バックス)
- 作者: ブレンターノ
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1980/09
- メディア: 単行本
2009-05-14 01:16
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0