2009-04-11 [現代思想・入門]
4 人間の終焉と構造主義、ポスト構造主義へ
構造主義からポスト構造主義へ
構造主義の登場とそのヒューマニズム批判によって、「理性的な人間」の外部に発見されたもの
諸民族の文化
自分自身の内部(であり外部である)の無意識
社会的な無意識ともいえる構造
理性の道具であると考えられてきた言語の中の見知らぬ他者
文化現象全体が、ある原理や真理の観点からではなく
記号の観点から分析されるようになった。
構造主義が批判されている点
(1)構造主義は自分自身の方法に対して無自覚、無反省であったこと
(2)構造主義が静態的な、変化を扱えない方法であること
(3)構造主義は象徴秩序の発生機構に対して、あまりにも無関心でありすぎたこと
(4)構造主義は主体の死を語ったが、非形而上学的な「主体」「人間」が語られていること
「現代的」な思想家
言語、そして言語に対する方法が共通の道具(構造や差異の概念、
記号学的な諸概念)であり問題意識である。
落書き:「本質」といえば、「事象の意味と価値」のことだなと思い、
「客観的」といえば、「たんに客観的な認識と対象の関係があるのではな」いのにな
と思う。
これを、ニーチェ贔屓―「ニーチェ」という病 という。
『現代思想・入門』を読むときなどに、顕著に症状が出る。
いま思えば、1-1-3 『ニーチェと哲学』(ドゥルーズ)からの引用に、
「なぜなら、本質とはたんに事象の意味と価値でしかないからである。」
という一文がなかったのは、このようなことがないようにという、
著者の深慮、思いやりだったのかもしれない。
なにを読んでも、「力への意志」。
病は、なかなかに重いのか―と、思っていた。 が、
自然科学の本を読むとき、症状が出ないことに気づいた。
ダブルスタンダード。
そうか。 これからは、
自然科学の本を読むように、『現代思想・入門』を読・・・めるのか?
自然科学でも、たとえば、
脳や意識に係る研究の、最新の知見と解説を扱う本の中には、
「誰が」と問いたくなるものも、ある。
それが、興味があっても、手を出せない理由の一つで、
『現代思想・入門』を読んでいく、理由の一つだ。
2009-04-11 17:57 落書き訂正
構造主義からポスト構造主義へ
構造主義の登場とそのヒューマニズム批判によって、「理性的な人間」の外部に発見されたもの
諸民族の文化
自分自身の内部(であり外部である)の無意識
社会的な無意識ともいえる構造
理性の道具であると考えられてきた言語の中の見知らぬ他者
文化現象全体が、ある原理や真理の観点からではなく
記号の観点から分析されるようになった。
構造主義が批判されている点
(1)構造主義は自分自身の方法に対して無自覚、無反省であったこと
(2)構造主義が静態的な、変化を扱えない方法であること
(3)構造主義は象徴秩序の発生機構に対して、あまりにも無関心でありすぎたこと
(4)構造主義は主体の死を語ったが、非形而上学的な「主体」「人間」が語られていること
「現代的」な思想家
言語、そして言語に対する方法が共通の道具(構造や差異の概念、
記号学的な諸概念)であり問題意識である。
落書き:「本質」といえば、「事象の意味と価値」のことだなと思い、
「客観的」といえば、「たんに客観的な認識と対象の関係があるのではな」いのにな
と思う。
これを、ニーチェ贔屓―「ニーチェ」という病 という。
『現代思想・入門』を読むときなどに、顕著に症状が出る。
いま思えば、1-1-3 『ニーチェと哲学』(ドゥルーズ)からの引用に、
「なぜなら、本質とはたんに事象の意味と価値でしかないからである。」
という一文がなかったのは、このようなことがないようにという、
著者の深慮、思いやりだったのかもしれない。
なにを読んでも、「力への意志」。
病は、なかなかに重いのか―と、思っていた。 が、
自然科学の本を読むとき、症状が出ないことに気づいた。
ダブルスタンダード。
そうか。 これからは、
自然科学の本を読むように、『現代思想・入門』を読・・・めるのか?
自然科学でも、たとえば、
脳や意識に係る研究の、最新の知見と解説を扱う本の中には、
「誰が」と問いたくなるものも、ある。
それが、興味があっても、手を出せない理由の一つで、
『現代思想・入門』を読んでいく、理由の一つだ。
2009-04-11 17:57 落書き訂正
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