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2009-04-16 [現代思想・入門]

2 デカルト、カント、ヘーゲルの近代哲学の二元論

  ドイツ観念論   カント
  真理:人間の認識の共通性のなかに真理を探す。
      命題の真理(事実との一致)という概念から、真理そのものが可能になる条件を考える
      という超越論的な真理の概念に移行。

  世界:人間が認識できる総体。 世界の限界は、人間の知の限界と一致する。

  地平:人間の理性の限界をさだめるもの。

  超越:人間の経験をこえたもの、感性的な直感の対象になりえないもの。
      物自体であって人間には知りえない

  超越論的:人間の経験を可能にする条件。 人間の認識を可能にする条件。
         アプリオリ(経験に由来せず、経験そのものを可能にするもの)なもの。
         認識そのものとその対象とを同時に可能にする根源的な条件。
         物自体であるとともに、現象を認識する主体だという人間の二重性が背景にある。

  表象:現象とは人間が表象するもの。 直感も知覚も思考も、どれも表象。
      表象という概念では、主観と客観の対立関係は織りこみずみの前提である。


                                            

                             参考:『思考の用語辞典』   中山 元 著





 落書き:あなたに現象の世界があり
      あなたは現象の世界にいる
      わたしに現象の世界があり
      わたしは現象の世界にいる

      あなたに物自体の世界があり
      あなたは物自体の世界にある
      わたしに物自体の世界があり
      わたしは物自体の世界にある

      やがて あなたに 死が訪れ
      あなたに現象の世界はない
      あなたは現象の世界にいない

      物自体の世界にあるあなたに
      物自体の世界にあるわたしが
      わかるだろうか
      物自体の世界のやりかたで

      あなたは物自体の世界にあり
      あなたは現象の世界にいない

      なのに

      わたしの現象の世界にあなたはいる
      あなたは現象の世界にいる
      あなたの生が現象の世界にあり
      あなたの死が現象の世界にある

      物自体の世界にあるわたしに
      物自体の世界にあるあなたが
      わかるだろうか
      物自体の世界のやりかたで

      やがて わたしに 死が訪れ
      わたしに現象の世界はない
      わたしは現象の世界にいない

      わたしは物自体の世界にあり
      わたしは現象の世界にいない

      あなたは
      わたしが
      わかるだろうか

      わたしは
      あなたが
      わかるだろうか

      物自体の世界のやりかたで             (想母)




      つらつらと考えている
      思惟するわたしは、現象の世界
      わたしの身体(からだ)は、物自体の世界


      わたしは、夏の昼下がり、縁側でカキ氷を食べている。
      わたしの腕が、蚊に刺され、小さく赤く腫れる。
      わたしの腕が、蚊に刺されたのは、現象にすぎない。
      わたしの腕が、小さく赤く腫れるのも、現象にすぎない。
      それは、思惟するわたしにとって。

      わたしは、夏の昼下がり、縁側で寝息をたてている。
      わたしの腕が、蚊に刺され、小さく赤く腫れる。
      しかし、わたしは眠ったまま。
      わたしは、わたしの腕が、蚊に刺されたのを、知らない。
      わたしに、わたしの腕が、蚊に刺されたという現象は?
      わたしは、わたしの腕が、小さく赤く腫れるのを知らない。
      わたしに、わたしの腕が、小さく赤く腫れるという現象は?

      わたしの腕は、思惟しない。
      わたしの腕は、物自体の世界にある。
      わたしの腕に、蚊に刺されたのは、なあに?
      わたしの腕に、小さく赤く腫れるのは、なあに?

      わたしの腕は、主体になれない。
      そうなの? ただ、それだけなの?


      物自体の世界
      物自体の世界

      カメラが、石ころを写す。
      物自体が、物自体を、物自体のやり方で、ニンシキスル?
      カメラと(いや、フィルムか)石ころのあいだにあるのは、光学反応?
      フィルム自体と石ころ自体のあいだにあるのは、なに?


      哲学では、
      思惟するものは、人間だけか。
      ゴリラは思惟しないのか。
      ゴリラに存在の問いは問えないのか。

      認識するものは?
      「認識」を、『岩波生物学辞典』で調べてみる。
      認識する生き物は・・・、細胞も・・・
      みな、現象の世界に・・・ではなくて
      物自体の世界では、認識とその対象は?

      認識するものは?
      機械。
      認識とその対象は、誤差〇〇で一致 しそう。
      しかし、そのことも、
      思惟する人間には、現象にすぎない。
      人間の認識とその対象(機械の認識とその対象の一致)の一致は保証されていない。

      思惟するから、一致しないんじゃないの?
      そうか! それで、
      「かんがえるんじゃない! か〇〇〇〇〇!」 っていうんだ。


      つらつらと考えている
      考えていると、だんだんとおくなる
      哲学から、とおくなる




岩波生物学辞典

岩波生物学辞典

  • 作者: 八杉 竜一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1996/03
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