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2009-05-09 [現代思想・入門]

メルロ=ポンティの身体論的現象学
心身二言論の乗り越え
 『行動の構造』 (1942)
  「両義性の哲学」   ドゥ・ヴァーレンによる序文
  サルトルは、デカルトの心身二言論を強化している。
  ポンティは、「心」と「身体」のあいだの、微妙なからまりあいをたえず問題にしている。

  実証心理学を批判
   実証的な行動科学は、人間の「行動」を、刺激、条件、反応といった因果的な関係として
   捉えている。 が、
   人間的な「行動」は、刺激―伝達―興奮―反応―運動という、
   結び合わされた一筋のひものような単純なかたちとしては捉えられない。

  ゲシタルト心理学の「ゲシタルト」という概念を援用
   「ゲシタルト」の考え方は、人間の身体のあり方を、ひもではなく、網の目的な組織として
   捉えようとする。
   一つの刺激は、ただ一つの系列をたどって一つの結果(反応)に行き着くのではなく、
   相互に影響を与えあって、身体の全体的な構成(ゲシタルト)のあり方に変化をもたらし、
   全体の構成のあり方が、逆に一つの刺激のあり方を規定してもいる。

  「事実上から言っても権利上から言っても、法則は認識の道具にすぎず、構造は〈意識〉の
  対象にすぎない。 それらはいずれも、〈知覚世界〉を思考するという目的のためにのみ
  意味をもつのである。」  (『行動の構造』)

  「心身の合一」を説くと言われる哲学の出発点
   「構造」というかたちで、意識は人間を捉えようとする(=対象化しようとする)。
   人間の「精神」という原理は、物=身体という原理と同じ水準では把握できない性質をもつ
   ので、人間を構造として捉えようとしても、そこからはみ出してしまう。
   人間の「行動の構造」とは、「はみ出すこと」に本質を見いだせるようなものである。

 『情念論』 (1649) デカルト 精神と身体の二元論
  身体(=情念)   お腹が空いたらものが食べたいというレベルまで因果律に支配された
              物質の世界
  精神   因果律に逆らっても、自分は減らして他人に分け与えるという選択がありえる世界
  サルトルの「自由」の考え方も、基本的に似ている。

 独自のイメージ
  心と身体はそれほどはっきりと分けられるものではない。
  人間の身体はすでに心のあり方に浸透されており、
  心そのものも純粋に独立したものではなく、身体のあり方から大きな影響を受けている。

   
行動の構造

行動の構造

  • 作者: メルロ=ポンティ
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1964/10/30
  • メディア: 単行本







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