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2009-05-29 [現代思想・入門]

【構造主義の出現】に関する中心人物の問題意識
(バルトの記号学の応用/実験)


 感想: 「わたしに対して存在するすべてのものが、そのようにわたしに対して存在するのは、
     認識するわたしの意識によってである」 (フッサール)

     このごろ、何かをしているときに、ふと、この言葉を思い出す。
     「これがこんなふうに見えているのは、わたしがそんなふうに見ているからなんだ。」
     不思議なことに、こう意識すると、同じ景色なのに対象物の見え方が変わる。
     輪郭が鋭くなくなる、というか、わたしに対してあまり対立しなくなるようなのだ。
     これもまた、「認識するわたしの意識によってである」。 気持ちの問題か?
     はじめはあまり・・・だった現象学が、こんなに身近(?)になるとは思わなかった。
     現象学ごっこと呼んで、こっそりおもしろがっている。     

     「この思想家がこのように考えるのは、彼がそのように考えるからなんだ。」
     彼がなぜそんなふうに考えるのか、彼が誰なのかが気になってしまう。
     彼の意識がとすればフッサール、誰がとすればニーチェ、というのは乱暴か。
     「この思想家をこのように解するのは、彼がそのようにこの思想家を・・・。」
     このことについては、いまは、そとに置いてしまっている。

     現代思想ににゅうもーん といいながらここまできた。 これからが本題。 でも、
     デカルト―カント―の難しさは楽しかったが、構造主義の難しさは・・・色が違う。
     この本を読み終えて、カントを少し学んだら、『存在と時間』を読むぞー な自分がいる。


     


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