SSブログ

2009-06-08 [現代思想・入門]

1 あらゆる形而上学的なるものへの批判! (再)


 参考: 『ヨーロッパ思想入門』
     第3部 ヨーロッパ哲学のあゆみ
      3章 経験主義の系譜
  ヒューム
   因果律の批判的考察
    認識
     理性的認識あるいは先天的認識
      絶対確実であると同時に具体的内容ゼロの認識である。
      「直角三角形は三角形である」   すべての論理的認識はこういう性格のもの
       「直角三角形」という観念の中にすでに「三角形」という観念が含まれている。
     事実についての経験的認識   人の認識の大部分
    事実に関する認識
     感覚による直接的認識
     推理による間接的認識
      原因と結果の連結関係に関する推理により、目前の事物に限局されず認識できる。
    原因と結果の連結関係(因果関係)
     一つの感覚的印象と他の感覚的印象とのあいだには、
     論理的認識の場合に確かめられうるような必然的関係がない。 (『人生論』)
     もし「AならばB」が必然的関係ならば、「Aならば非B」は思惟不可能である。 が、
     「明日、太陽は東から昇る」も「明日、太陽は西から昇る」もともに思惟可能である。
     因果関係はすべて、あるできごとが恒常的に他のできごとを伴って現れてきた、
     という過去の経験にもとづいて立てられた推測なのである。
    因果関係を立てることに理論的根拠はない   必然性の欠如と、
     自然の一様性という前提
      いままで「AならばB」であった。 だから、これからも「AならばB」だろうという前提。
      「過去・現在・未来、不変の因果関係が妥当する」という前提にもとづいて成立する。
    因果関係は自然の一様性を前提とし、
    自然の一様性は因果関係を前提する、という悪循環がある。 (『人間知性に関する探究』)
    想像力によって、習慣的に経験されたAなる印象と
    Bなる印象との連続的継起もしくは恒常的連接を、因果関係として法則化している。

   外界の事物の存在
    事物の存在とその自己同一性もまた、先の印象と後の印象とのあいだの類似性と、その
    経験の恒常性によって、私たちが想像しているだけのものであることがわかる。 (『人生論』)

   人格の同一性
    私には自己というものがあるのだろうか。
    自己をもとめて自分の内奥を深く見つめ、愛憎や快苦などの印象を見出す。
    その背後を見つめても、愛憎や、快苦やさまざまな記憶以外のものは見つからない。
    実体の観念を消去し、自己とは印象の束であると考えた。
    人格の同一性を支えるものは、記憶における印象の連続性以外には何もない。

   カントはヒュームの因果律批判に触発され、
   存在者に普遍的に妥当する秩序は経験からは生じえない、と考えた。
   「カテゴリーとは、知性の与える存在者のアプリオリな存在様式である」
   カントのコペルニクス的転回
    これまで存在者そのものの構造と考えられてきたカテゴリーを認識主観の構造へと逆転し、
    認識主観が存在者にその秩序を与える、と考えた。

   人格の同一性の批判は、自我をどこまでも客体として見ている思想の弱点を露呈している。
   自我の問題は、後の実存哲学によって、真相を探究される。

     

   

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

2009-06-072009-06-09 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。