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2009-06-12 [現代思想・入門]

1 あらゆる形而上学的なるものへの批判! (再)


 参考: 『カント』   岩崎武雄 著
     序論 カント哲学の背景と意図
      1 近世哲学の特徴
       (1)人間的立場の発見
       (2)自然科学の確立
       (3)学問的要求と世界観的要求との対立
      2 カント哲学の意図

     近世における自然探究の方向の転換
      本質から法則へ   「何故に」という問いから「いかにして」という問いへ
     自然探究が学問となり得た理由
      実証性の獲得
      数学の使用
     デカルト 大陸合理論 演繹的推理 の欠陥
      大前提の中に含まれている以上のものを結論として取り出してくることはできない。
     イギリス経験論   経験を超越したものについては何等の認識も持ち得ない
      形而上学の否定
      自然科学的認識の確実性をも疑う

     哲学   世界観的要求を持つがゆえに、従来、形而上学でなければならなかった
      世界観は、人がこの世界で生きてゆく以上必要とされる。 また、
      価値評価と結びつくものであり、価値評価を行うためには、
      世界の本質が何であるかというような問題が、解決されなければならない。

     世界観(形而上学的思惟)的要求と学問的(実証的)要求との対立

     カント
      合理主義的地盤に立っていたが、ヒュームによってその「独断の夢をさまされる」。
      懐疑論的帰結に止まるには、世界観的要求が強すぎた。
      「形而上学の全面的な革命を企てる」ことによって、形而上学を
      (学問的認識と矛盾しない)「学問の確実な道にもたら」そうとした。
     カントの批判哲学の意図
      世界観的要求と学問的要求との調和統一


 感想: なぜ形而上学は批判されたのか。 を考えるためには、
     そもそも、形而上学とは何なのか。 をもっと知らなくては。 と、わき道に。
     わかったのは、自分の根本的な動機が世界観的要求だということ。
     「3 デリダと脱構築という概念」を読むには、あまり関係なかったかな、ということ。
     思い返してみれば、わからなくて当惑したのは、
     デリダが批判した。 それで? ということだった。
     外堀から・・・と思ったが、形而上学は、埋められるようなものではなかった。
     本文中にある、
     「デリダは、ヨーロッパのこういった理性信仰を、端的に〈形而上学〉とよぶ」を
     デリダの批判対象としての形而上学の定義として、先に進もうと思う。

     『カント』の「結び カント哲学の現代的意義」も興味深い。
     現代とは初版時1958年。 サルトルの『弁証法的理性批判』が1960年。
     実存主義が大きな思想の潮流とある。 対するのは、分析哲学。
     2009年のいま、世界観的要求と学問的要求との関係がどうなっているのか
     ということも、おもしろそうだ。
     わかったといえば、高校の物理でつまづいた理由。
     「何故に」と問うて、当然わからず、先に進めなかった。
     「いかにして」と問い方を転換して、解法を覚えるべきだったのだ。



カント

カント

  • 作者: 岩崎 武雄
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: 単行本






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