2009-06-16 [現代思想・入門]
【構造主義からポスト構造主義へ】に関する中心人物の問題意識
ノマッドの知―ドゥルーズとガタリのために
G・ドゥルーズ (1925-1995) F・ガタリ (1930-1992)
遊牧民の知と実験としての生
遊牧民の知
「天文学におけるブラックホールみたいだ、絵の白いキャンバスみたいだ、とは言わない。
われわれは、領域性を失った、つまり自分の領域から引き離された用語を用い、別の概念、
社会的作用としての『面立ち』に再び領土を与え直す(再属領化する」 (『対話』)
「本が何によって作動しているか、何と連結されて、諸強度を通しあるいは通さないか、
どんな諸多数多様体のうちに自分の多数多様体を入りこませ、それを変容させているか、
どんな諸器官なき身体らとともにみずから器官なき身体を収斂させようとしているのか、
といったことを問うてみるべきだ。 本というものは、外部によって、また外部においてしか
存在しない」 (『千の高原』)
「概念とはまったく音や色や映像のようなもので、強度があなた方に合っているかどうか、
通じるかどうかだ。 ポップ哲学だ。 理解すべきもの、解釈すべきものは何もない」 (『対話』)
形=神の裁きと器官なき身体
欲望機械と精神分裂分析
脱属領化と実験としての生
「これらの欲望人間は、ツァラトゥストラのようだ。 彼らは信じがたいほどの苦痛、めまい、
病を知っている。 彼らは、自分を悩ます幽霊をも持っている。 彼らは一つ一つの身振りを
くり返し発明しなければならない。 だが、このような人間は自由な人間として生み出される
のである。 ―責任感をもたず、孤独で、歓びにみちあふれ、遂に、何事かをその固有の名の
もとで、単純に口にし、行うことができ、許可を乞うたりしないような―。 何物をも欠如している
わけではない欲望。 堰とコードを乗り越える流れ。 自我など指し示さない名。 彼は、ただ
気狂いになるのを恐れるのをやめてしまったのである」 (『アンチ・エディプス』)
ノマッドの知―ドゥルーズとガタリのために
G・ドゥルーズ (1925-1995) F・ガタリ (1930-1992)
遊牧民の知と実験としての生
遊牧民の知
「天文学におけるブラックホールみたいだ、絵の白いキャンバスみたいだ、とは言わない。
われわれは、領域性を失った、つまり自分の領域から引き離された用語を用い、別の概念、
社会的作用としての『面立ち』に再び領土を与え直す(再属領化する」 (『対話』)
「本が何によって作動しているか、何と連結されて、諸強度を通しあるいは通さないか、
どんな諸多数多様体のうちに自分の多数多様体を入りこませ、それを変容させているか、
どんな諸器官なき身体らとともにみずから器官なき身体を収斂させようとしているのか、
といったことを問うてみるべきだ。 本というものは、外部によって、また外部においてしか
存在しない」 (『千の高原』)
「概念とはまったく音や色や映像のようなもので、強度があなた方に合っているかどうか、
通じるかどうかだ。 ポップ哲学だ。 理解すべきもの、解釈すべきものは何もない」 (『対話』)
形=神の裁きと器官なき身体
欲望機械と精神分裂分析
脱属領化と実験としての生
「これらの欲望人間は、ツァラトゥストラのようだ。 彼らは信じがたいほどの苦痛、めまい、
病を知っている。 彼らは、自分を悩ます幽霊をも持っている。 彼らは一つ一つの身振りを
くり返し発明しなければならない。 だが、このような人間は自由な人間として生み出される
のである。 ―責任感をもたず、孤独で、歓びにみちあふれ、遂に、何事かをその固有の名の
もとで、単純に口にし、行うことができ、許可を乞うたりしないような―。 何物をも欠如している
わけではない欲望。 堰とコードを乗り越える流れ。 自我など指し示さない名。 彼は、ただ
気狂いになるのを恐れるのをやめてしまったのである」 (『アンチ・エディプス』)
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